2016年11月20日日曜日

スピリチュアルと選民、優越思想



スピリチュアルと選民思想について質問がありましたので、取り上げてみます

スピリチュアルな世界でも、何か特殊な能力や体験をすることで、人と違った自分に陶酔し、うぬぼれてしまうことがあります

これは、現実世界では、たとえば仕事であまりうまくいかずに、評価があまり受けられていないと、それを心理的に補償しようとして、別世界のスピリチュアルな世界では、自分は認められるのだ、優れた存在なのだと思おうとするものです

実社会では自分は認められないけど、そうした自分への過小評価に耐えきれずに、他の世界では優れたものと認められることを願っているものです

霊能者にもそうした傾向がある人も多く、私が唯一だとか、特別だとか、己惚れてしまうことも多いでしょう

以前にも何度か書いておりますが、慢心も自己卑下も、極端にぶれると、人は足を踏み外してしまいます

才能に酔いしれて、足元をすくわれる人もおれば、自己卑下の泥濘に足を取られて動けなくなる人もいます

ですので、極端な自己評価に陥っていないかを反省し、中道となるように心がける必要があります

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10 件のコメント:

  1. 洪先生。今回の話も心理ならぬ霊理を考えさせられるものですね。
    私は人生大して長くは生きていませんが、気になった事があります。
    人々は負の感情を克服できるかです。
    それらについての考えを記事にしてくれませんか?

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  2. 【正義とは、善と悪にバランスをもたらすもの。悪に心が揺れるなら、いかに踏みとどまり善の道を探すか…。その探す行為が、正義ではなかろうか??。その為に神は人間に、智恵を与えた。】

    この台詞はアニメ、ドラゴンボールの中で、地球・人間を見守る担当の存在の神界の見習いの神に、師の神が諭すように伝えた言葉です。見習いの神は、人間の愚かさや負、悪の部分が許せず、師に問いただしているシーンでした。

    アニメでしたが、なかなか心に残った言葉でした。

    何事も全て、【バランス】が大切ですね…。洪さんが何度も投稿して下さっている、ネガティブエネルギーとポジティブエネルギーのバランスですね。

    どちらに偏ってしまうとバランスが崩れ、成長できませんものね。

    霊能者を鵜呑みにしてはならないと、身をもって実感しております。ネガティブエネルギーに操られていないかどうか、そこを解ってくると無駄に、霊能者に依存などしなくなりますものね。

    何事も自己の中に芯を持つことが、1つの強さとそしてバランス、中道を目指していたいですね。

    いつも、ありがとうございます。

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  3. 洪さん、こんにちは。
    私も時々迷子になって、そういう能力を自称する方には、心を惹かれます。
    その方には何故か違和感を感じていました。

    答えを頂いたようですね、ありがとうございます。




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  4. 記事を読ませていただき、なにか腑に落ちる気持ちになりました。
    スピリチュアル系のブログを読んでいて、内容に違和感を感じることがよくありました。書き手自身は自覚していないのでしょうが、言葉の表現や端々から自己陶酔してる雰囲気が感じられて、ん?と思うことがあります。それってなんか自分だけの世界に引きこもっちゃってるような状態の気がします。

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  5. 私も何人かそういう占い師に遭遇したことがあります。
    大した能力がないのにお金を取るので抗議したらお金は返ってきましたが「あなたには何もわからないくせに」というようなことを言われたことがあります。
    最近もありました。
    1000円も払って何もないという結果で抗議したら「ないものにないと」いって何がおかしいの?と言われました。
    まともにやっている人たちが多いですが中には大したことものないのに能力に目覚めたとか生まれつきとかプロフィールに書いて自慢するような輩がいて蓋をあけたら全然そんなことはなかったというのがあります。
    陶酔しているのは間違いないと思います。
    ただ本人たちはわかってないだろうし認めないであろうと思います。
    そういう腹立たしい経験をしました。

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  6. 洪さん、こんばんは。
    わたしは少し前までこういった感情がありました。 でもなるべく人に迷惑をかけるまでにはしないようにしていました。 みえる・感じることは意味があることだと思っていたからです。 それは、それをうまく果たすことが出来なければ、いい効果が出ないのだと生活しながら感じていました。
    見える・感じることを回りの人たちに、洪さんみたいに言うことが出来たらと思っていました。
    でも、その時に、メディアに露出している有名な方々みたいに、お金をとることが自分の中では許せなかったところがあったので(つたない能力だからというのもありました)、そばにいる人たちが気を楽に出来るように、相談して来てくれたらなるべく答えるように今は生活の中で、自分の反省点とも向き合いながら生きています。
    この先近い内に、今抑えているそれを、成長が実感できたときには、もっかい出すときもあるだろうなぁ、と思っています。

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  7. 遠い過去の子供の頃のことなのでよく憶えてないのですが、「この世の中に絶対ということは絶対にない!」という言葉が、二重否定の核心的事実として自分の中にスーっと取り込まれたという記憶があります。たしかマンガか何かで出てきたセリフだったような気がしますが。それ以降「それは絶対に間違ってるよ!」とか「絶対許せない!」とか「絶対◯◯に違いない!」とか聞くと「本当にそうなのか?」と反射的に反応し、意識的に視点を変えて考え直してみるようになりました。
    そうなると「主観」と「客観」の2極に妙に意識が向き、「慢心」「自己卑下」「優越感」「自己陶酔」などは、所詮自己価値観のスペクトルに過ぎないのではないか?と思えました。どっちに転ぶにしても、自惚れても、自虐的になっても、そういうところがすごく人間くさくっていいじゃん!そういうシーソーゲームの中で少しずついろんなことがわかっていくんだろうなと思えて、バカなことを懲りずに繰り返えしているこんな自分も少しは許せる気になって救われている気がします。中道って、意外と「深刻になり過ぎない」ってことに近いのかなあ?

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    1. 横ですみません。私も幼い頃同じ事を考えた事を思い出しました。
      私の場合、『「この世に絶対という事は絶対にない」が、それも絶対とは限らない』と1周してしまい、頭がこんがらがり考えるのを止めた記憶があります。

      絶対は絶対ある/絶対は絶対に無い
      最近は、どっちも正解だろうなぁと思っています。

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    2. コメントの返信は初めてなので迷いましたが、ちょっと面白そうだったので、少し。
      『絶対』については私も考えた事があります。
      私の、今現在の見解としては、(この地球レベルでの)現在とか、数日の間とか、10年くらいとか、自分が死ぬまでにとか、無意識に、または意識的に期限を決めている時に『絶対』は存在していて、永遠の歴史の中でとか、永遠の魂というレベルでは『絶対』は無いのかもしれないなどと考えたりいています。そういえば、『永遠』と言うのもあるのか無いのか・・・面白いですね。

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  8. トランプについて、色々なネガティブな見解を述べる人がいます。

    でも今回の選挙で大切なのは、何が正しいというのでなく、それが今の「民意」だと知る事だと思います。

    エリートが先導する社会に文句があるというより、エリート達が自分たちを万能と思い始めていた、その選民意識に度が過ぎてしまった結果、それが今回の選挙結果であると。

    だから一度政治を動かすエリート達も、自分を振り返る良い機会であると思います。

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