2015年2月10日火曜日

学校と日本の閉鎖性について



アンケートで以下のような三つの質問がありました

直接の答えになるかはわかりませんが、関連する記事を書いてみたいと思います



Q、職場や学校など、何でも良いのですが、辛いと感じた時に環境を変えることは、やはり「逃げ」になるのでしょうか。辛いことも、試練として乗り越えるべきなのでしょうか。

Q、不登校やひきこもりの子どもについて、なにか教えて下さい

Q、現代の義務教育のあり方、増え続ける不登校について、親の見守り方等、教えて下さい



日本の社会では平均から外れている人を抑圧するようなところがあります

それは平均より優れていたり逆に劣っていたりもそうですが、何か人とは違った個性や特質を認めずに排除しようとうする動きがあるのです

古来から日本では稲作が普及し広まっていました

稲作では灌漑用水の工事をしたり、田んぼを水平にならすなど、一人では難しく集団で作業して基盤を作らなければならないものでした

そうすると人は村社会の中で決まった人間の仲で暮らさねばならず、村から追い出されると生きていけないような状況に見舞われます

なので昔から集団の和を大事にし、それを乱す人間は好ましくなく、集団の中に入れないものは排除されるようになって行きます

海外では遊牧民族などは、集団のなかに入らずとも、自分たちの家族だけで、たとえば羊などを追って暮らすことが出来、嫌な場所からは自由に離れることができました

日本では集団から離れることが出来ずに、その中で生きていかねばならないため、イジメなどがあっても弱いものがただ耐えるしかない状況も生まれます

稲作中心の昔から現代でも続いており、日本では学校も会社もずっと同じ組織に属することが多いと思います

そこから抜け出すと再入学や再就職が難しくなる状況があるために、いやなことがあっても黙って耐え忍ぶような性質が日本には強くあるように思います

質問にもありましたように環境を変える事を逃げと感じてしまうような思いがあって、日本人は知らず知らずに集団の中に呪縛されていると言えます

その環境で芽が出ないならば新たな環境をさがすのは何ら後ろめたいことではないでしょう

イジメを苦に自殺されるなどの報道が為されることがありますが、そこまで苦しんでいるのに別な学校に移るなり出来ないところに問題があると思います

日本の社会も、もっと流動性のある社会になれば風通しもよくなって、淀みも薄くなっていくでしょう

不登校の問題も、そうした流動性の無さからきているのでしょう

転校や再就職が手軽にできるような社会が望ましいと思います

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5 件のコメント:

  1. 集団であるが故に発揮できるパワーもあると思います。特に、高度な技術力、モノづくり、高い品質などは、調和を乱さずに勤勉に働く日本人だからこそ、可能にできるのだと思います。一方で、飛び抜けることを良しとしないことから、創造性やオリジナリティを抑圧され、所謂天才肌の人は特に生きづらいのかもしれませんね。

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    1. もちろん日本の美点はほかにもいろいろありますね

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  2. こんばんは。
    日本は排他的な感じがありますが、そうした背景があるからなのですね。
    皆と違うことが欠点と捉えられがちです。
    日本人的な人生のレールから外れると、再起しづらいと思います。
    私も脱落者に近いですが、自分らしい生き方をしていくしかないです。
    日本は自然や伝統など、素晴らしい物もたくさんあるのですが、窮屈に感じてしまうことがあります。

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    1. 日本はもうすこし風通しのよい社会になればもっとよくなっていくと思いますね

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  3. お笑い系のノリで、相手を蹴り下げる口調となるツッコミにて、多分、コミュニケーションや相互の立ち位置決定の、早期の進捗を得ようとする、その様なケースがありますが、
    ツッコミを相手からのコミュニケーションだと捉えては、変な方向へ進展していき、真の人間関係構築は、永遠に難しく、ツッコミによる破綻因子を抱えたままになると、言えるように思います。
    (最近の若い世代では、少ない傾向にあるようにも思いますが。)

    イジメられる側も、なるべくなんらかの部分でツッコまれないように、程ほどの注意が必要になりそうです。
    ツッコまれたら、変になびかず毅然としたスタンスが要りそうです。

    ある日より、イジメられて自分が『少なくとも被害者側で有る』と受け入れるには、それすら今まで構築されてきた自分自身の証を失いそうで、勇気が要ることなのだと思います。
    しかしながら、この部分は友達や人に頼るばかりではなく、『自分自身の状況を受け入れて苦笑い処理できる強さと自分から行動していく力』が求められてもいるのだと思いました。

    場合によっては、 我が子が、イジメられそうな側、イジメそうな側かに拘わらず、
    『イジメられたら勇気という味方を出して 、警察へ連れて行ってあげるので、「自分も未成熟な部分があるからなのかも知れませんが…」と、堂々とした被害者として自分自身から動いて行きなさい』と、一言ぐらいは助言をしておくのも、
    チクリとか云々と捉えず、卑怯な事をするその相手の今後のためにも何ら躊躇することは無い選択だと思います。
    ある意味での建設的姿勢として、直談判(じかだんぱん)的?に警察へ堂々と乗り込む選択の道も有る。と言う、純粋な第三者を介したよい意味での開き直りの最後の強靭な防波堤バックアップを知ることで、
    虚無感飽和状態での抗議としての死のうとする選択から解放され、
    相手をビビるがままのステージ”から卒業する切っ掛けになるかもしれません。
    また『釘を刺しておく』意味でも、一言ぐらいはあってもよいのかもと思います。

    上記は、学校側や警察が発言してはややこしくなり、子供達のことを想うが故に出来ないことでも有って、
    また、先生に言っても、徹底的な策は取ってもらえない。どうせ明日も、顔を合わせる事になるだろう。と、その生徒さんに取っては、頼ることが出来ない思いのケースも、あるかも知れません。
    なかなか根本の解決には繋がらないと思いますが、基準は、あくまでもこの瞬間にも生きた心地を失っている、イジメられている方と、間接的殺人事件への歯止めに対しての、最終的な防波堤として、思ったことでした。

    洪さんの解説されます背景や、以前にも解説されました霊的闇背景へ眼を向けるのと並び、どこか少しでも、ヒントのようになる部分がありましたら嬉しいのですが。

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