2016年9月16日金曜日

母性愛と父性愛



クリスチャンの作家である遠藤周作さんのお話しで思ったことの再掲載です

イエスの思想について、キリスト教では裁き罰するような厳しい考えがありますが、遠藤さんはイエスに深い愛と許しの教えを見ます

前者が父性愛とするならば、後者は母性愛とも言えるものです
父親は子供が間違いを犯せば厳しく罰し、過ちを正そうとするでしょう
一方の母親はどのような未熟な子供であっても優しく愛します

父性とはナンバーワンを目指して向上を求めるのに対して、母性はオンリーワンとして子を愛する気持ちにあるのではと思います

子は時として自ら危険を犯したり、何気なしに人を傷つけることもあるでしょう
そうした時には父性として誤りを指摘しなければならない時もあります
ですがそれだけでは殺伐として、評価されて優秀であれば愛され、劣っていれば愛されないという思いをもってしまいます

母性の許しの愛は他人と見比べて評価する相対的な愛を超えて絶対的な価値を知らしてくれます
ですが母性愛のみだと人は甘やかされて過ちに気付かないこともあるでしょう
ですからこの二つの原理が人間には必要となっているように思うのです

遠藤さんは母なるものとしてのイエスを見ました

一方では厳しい父性としてのキリスト教からの批判もあったようです
どちらも一面の真理を現わしており、片方だけが正しいとは言えないのかもしれません
父性も母性も子供を育む愛情の現れと言えるのではないでしょうか
ですが片方のみを正しいとする見解からは、もう片方が間違いのように見えてしまうこともあるように思います

遠藤さんはどちらかと言えば日本には母なるものとしてのイエスが会うのではないかと考えていたようです
必ずしも父性的なキリスト教を否定しているわけではなく日本人には受け入れずらいと思っていたのでしょう

人間が物事を知るとき対象を分析してみせます
分析や分別というのは字のとおり物事をわけるということです

未分化な状態にあるときは人の意識はまどろみの中にあるのであり、物事が分化して対立することで知覚するようになります

そのように対立する概念や理念が人間の意識に立ち現れれてくるのですが、今回の父性や母性など、それらの対立は一方に立って見ていると、相手は否定されるべきものとしてうつるわけですが、本来は自らの内なる対立を投影したものであり、やがては統合していくものであると思えるのです

男性原理や女性原理もそうです
対立する原理があることで意識現象はあらわれてきますが、投影されたそれらを統合していく働きもまた人間の本質、あるいは宇宙の本質としてあると思います
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